【スポラボ・バレー】スポラボ&バレー塾をはじめようとおもったわけ

スポラボ&バレー塾でたいせつにしたいこと

こどもと関わるうえで、何より大事にしたいこと。

教育に興味がある一人の人として、教育とは…と考えていると
やっぱり根源はここだよな~とおもう。

「自己肯定感とレジリエンス」

できるできないで優越感からの自信を得るためでもないし、
知識のミッションタスクをこなしていくことでもない、
たくさん勉強していい大学に入ることでも、
集団行動を学んで、適合力を身につけることでも、
オリンピックを目指すことでもない。
教育で一番育みたい力は?

生涯を通して、
人の輪の中で、しゃ~ない、このありのままの自分で幸せに生きていこうと自分を愛せていること(自己肯定感)

そして
どんな環境であったとしても、どんな状況になろうとも、人のせいにせず、自分の力で幸せになろうともがけること(レジリエンス)

そう、このありのままの自分で、自分を幸せにしちゃる!ってか、幸せだぁ!
と思えるコト。

そんな力を体験を通して、こどもたちが自分の力でつかんでいってほしいなぁと思って、この教室を始めました。

体育の先生だったけど、声を大きくして言いたい

逆上がりなんてクソくら~い~~!!

跳び箱なんてできなくていいし!

大人になって、「あのひと、何段跳べるらしいよ。すごいね」なんてまったくない。
スポーツができるかできないかなんて、ほんとどうでもいいし、
そんなことで劣等感感じて、自分をちいさくしないでほしいの。

逆上がり、開脚跳び、後転は、小学校の登竜門なんだろうか。
この、できるできないがはっきりしたお題。

優越感と劣等感が生まれ、
体育好きと体育嫌いにわかれていく。
本来、こどもはみんな、体を動かすことが大好きなのにね・・・

わたしが学校現場や、不登校のスクール、保育園、
子育て中に出会ってきた何千人もの子どもたちをみていると、

こどもの世界に限っては、
足がはやいことがかっこよくて、バレンタインの数にまで影響を及び(笑)、
クラスでのリーダーとしても一目置かれ、とても価値があることになってしまう。
跳び箱の段数や、二重跳びの回数、マットの技の数や
ドッヂボールのうまい人が、とにかくヒーローで人気者。
「こどもの世界に限っては・・・」ね。

笑っちゃうくらい、そこはどんなに声掛けしても、子どもたちの中での
ランク付けの上位に来てしまうのだよね…

体育が苦手なことで、自分の価値が低いと感じてしまったり、
他に得意なことやすてきなことがあるにも関わらず、
自信がもてなくなってしまったり、
引っ込み思案になってしまったりの傾向があるように感じていた。

「体育が苦手だって、エッヘン!関係ないも~ん!」という強さをもってほしいのだけれど、
そうもいかないみたいね。子どもの世界では・・・

劣等感は誰かと比較して、感じてしまうという、自分自身の心が生み出しているのだから。

だからこそ、
体育という優劣がはっきりみえてしまう、劣等感をより強く感じやすいところを利用して
それでも、「できてもできなくても、僕の価値は何も変わらない!」と揺るがないしなやかな強さを持つ力と
出来ないけどその劣等感を乗り越える立ち上がる強さを、
感情とともに体感し、身に着けるチャンスがここ体育にはあるとおもう。

 

そして、本来、スポーツはストレス発散や、仲間とのつながり、
おじいちゃんおばあちゃんになっても、自分の足で歩けるためにも

生涯スポーツという観点でとても意味のあるのものはずなのに、

大人になっても、「体育が嫌いだった」という劣等感から、
スポーツから一切離れてしまっている人も多い。

ボールの上でバランスとれるかな~??

できるできない、勝ち負けではない、

ひとによってどんなスポーツでもいい、好きなスポーツに出会って、
ただ「きもちいい~」「最高~」「あはははは~」「がんばるぞ~」「友達と会えるってしあわせ~」とか
それぞれの心が「体を動かすことでよろこぶ」状態であってほしいよね。

わたしの核にあるのは、

「何ができてもできなくても、生きてるだけで価値がある!
できるできないなんて関係ない!」
っていう根拠のない自信をつかんでほしいというところなんだけど、

向上心の塊のこどもにとって、
ありのままのあなたでいいよ、やならくていいだよ、できなくていいんだよ、
で、納得できる子ってあんまりいないと思うんだよね。

おとなになると「ありのままでいい」っていうのがすごく好きになるけど、

こどもは本当はがんばりたくて、うまくなりたくて、かっこよくなりたい生き物
なんだなぁと感じる。

だって、がんばり方を教えて、勇気づけて、背中を押すと
いくらでも熱中して、努力しちゃうんだもの。
こどものパワーは、大人には比にならない。

だから、「あなたはあなたのままでいい。すてきだよ」って
根拠のない自信も、もちろん伝え続けるけれど、

「根拠のある自信」も同時に伸ばしてあげたいし、一緒に寄り添いながら
努力の体験、継続の体験、そしてちいさな成功体験を積み重ねてほしいなっておもう。

「ぼくはこれだけやったんだから大丈夫」
「わたしはこんなにも努力したんだから、できなくても満足」
「やるだけやった。もうOK!」
そういった、自分の努力で自信をつかみとる体験も同時にしてほしいと思う。

だから、挑戦するの!
逆上がりなんてできなくても、
開脚跳びなんでできなくても、
どうでもいいのだけれど、

くやしいなら、できるようになりたいって本当は願っているのなら、
練習しようよ!
挑戦しようよ!
絶対できるから!!絶対できる!!
がんばって、練習して、できるようになるって
めちゃくちゃうれしいじゃん!!
跳び箱を跳べちゃった時の顔!
逆上がりができちゃったときの顔!
逆立ちができちゃったときの顔!!
もうはじけんばかりの、とびっきりの笑顔!

さかあがり、できちゃった~!!

 

 

 

 

 

それが
がんばった自分を信頼する種に
できちゃった自分を信じる種に
がんばれば、がんばった分だけ、かならず成果は出るという自信の種になるんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どちらか一方では、自信は折れてしまう。

根拠ある自信と、根拠のない自信、2つの自信をこどものうちから意識化することによって、

「自信」「自分を信じる」「ぼくは何があっても大丈夫」

というマインドをつくっていってほしいなぁ。

そう、だから、体育、スポーツはツールでしかない。

そして、ツールとしては最高なものだと思う。

失敗の体験。
悔しさの体験。
負けたの体験。
勝ったの体験。
できないの体験。
努力の体験。
毎日の継続が力になる体験。
ともだちと笑い転げる体験。
ともだちのがんばりを心から祈る体験。

汗と感情と共に、たくさんの体験をし、
そして「それでもぼくはだいじょうぶ」と
何度でも乗り越えていく体験をつむことができる。

ここで、こころとからだの体験・経験をつんで、
自己肯定感を感じるきっかけになってほしいなぁと思っています。

スポラボでは、レッスンのはじめに
自信をつかむために大切なことというのをいつも確認してからはじめます。

できないことをオープンにして、「えっへん!だから?」と開き直る練習をしたり、

できないことを恥ずかしがらずに挑戦しあえる言葉かけをしたり、

劣等感にあえて立ち向かっていく、

劣等感をあえて見える化することを大切にしています。

その技が得意な人は、サポートを。
その技が苦手な人は、最大の挑戦を。

こころを支え合いながら、お互いに成長しあえる場になるといいあぁ。

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